トコトン トコトン その番組はでんでん太鼓のアップから始まる。
昭和43年(1968)11月22日金曜日 NHKのドキュメンタリーが放映された。
トコトン トコトン その番組はでんでん太鼓のアップから始まる。
主人公は自閉症の男の子。
息子はいくら呼び掛けてもこちらを見ない。耳が聞こえないのかと心配したが、でんでん太鼓の音には反応してそちらを見る。どうやら耳は聞こえるようだ。
親の心配をよそに子供はすくすく育ちもう小学4年生。しかし今もほとんど話す事が無く、呼びかけてもこちらを見てくれない。
太鼓と少年 昭和43年(1968)11月22日金曜日 NHK
「あははは、あははは、この子トールとソックリ!」
「ホントだ。トール君自閉症なんじゃ無いの!」
「面白いねーーー、トールと同じ様な子居るんだねー」
「可笑しいよ!トール君と一緒だよ!」
いつもの様に、母、高校1年の姉、中学2年の姉に面白おかしくからかわれる。
私が通う北海道の手稲中央小学校に特殊学級が出来たのが昭和41年。その前後多くの小学校に特殊学級が作られ一般的な存在となりました。そんな時代背景もあってか、私が小学6年生の秋、このドキュメンタリー番組「太鼓と少年」が放映されました。
今から52年前、まだ自閉症という障害自体が知られていない時代。恐らくこの番組が日本で初めて自閉症にスポットライトを当てた番組でしょう。
いつもなら一緒におちゃらける所ですが、私はこの画面に強烈に引きつけられていました。(知能が低い自閉症がいるなら、知能が高い自閉症もいるに違いない。この子と私は同じだ)その後、誰にも話していませんが、52年間この考えが一度として揺らいだ事はありません。
後に自閉症専門の児童精神科医に繋がった時、真っ先にこの番組の事、この番組に登場した少年の事を探す手立てが無いか尋ね、聞いてもらいましたが誰も知る人はいませんでした。
実は自閉症児、自閉症者の問題の根本はココにあるのです。
精神科医を初め施設職員、日本自閉症協会でさえ連続的に自閉症の事をフォローしている人がいません。だから、こんなエポックメイキングな番組があった事など、私以外誰も知りません。では何処かにデータベースでもあって記録が残っているか?データベースが無いのですから記録さえ残っておらず、残っているのは私の記憶と、記憶に残る映像とナレーションだけです。NHKアーカイブスなど論外で保存の対象外でした。記事にする前に私達が裏付けとして取ったのは、私の記憶を元に調べた新聞のテレビ欄。それだけは図書館にあるので、放映の事実を確認する事が出来ました。
私は事ある度にこの番組の事をもちだし話題にしましたが、残念ながら誰一人この番組の話題に引っかかりませんでした。
さて、昔の自閉症の事を知る人がいないとはどういう事でしょう。なにか不都合でもあるのでしょうか。
あるのです。
ライ病の患者は長く隠蔽されてきましたが、その代わり不都合な事実もキチンと保存され現在に生かされる基礎になりました。
しかし、自閉症は違います。
戦後の医学の発展と共に自閉症の環境がどう変わったか。良くなったのか悪くなったのか。何が非常に良かった事で、何が自閉症に悪影響を与えたか。過去の自閉症児、自閉症者に対する関わり方の情報が残っていなければ、現在施設や家庭で過ごす自閉症者を今になって観察したところで、得られる情報は非常に限られた僅かな物のです。
例えば太鼓と少年で取り上げられた少年。テレビに取り上げられる位ですから、注目されたはずです。彼はその後どの様な人生を送ったのでしょう。高校へは行ったのでしょうか。仕事は授産施設で働いていたのでしょうか。そんな彼も60過ぎ。ご両親は健在でしょうか。今は施設で過ごしているのでしょうか。相模原殺人事件をかいくぐり無事生きているでしょうか。
それでも私達は団塊の世代よりひと世代下。人数も少ないので何とか生き残れたかもしれません。しかし全く話に出てこない団塊の世代には、もっと多くの自閉症者が居た筈なのです。彼ら、彼らのご両親はどうやって生き抜いたのでしょう。
この様に、現実にはいろいろな立場の自閉症者が居る筈なのに、声なき声が出てくる余地は全く無く、求めても知る術すらありません。
さらに療育についても考えて見ましょう。ローナ・ウイング、バロン・コーエン等の研究者も、ある日突然画期的な療育が宣伝されたかと思うとやがて廃れ、また新たな療育が宣伝されるという事が繰り返されているので、親としては注意が必要です、と警鐘を鳴らしています。
しかし日本は違います。日本では持続的に自閉症に関することを見続けている人(組織)がいませんから、過去にどんな間違った療育方法があったかさえ知る人がいません。通所施設のスタッフは意欲溢れ勉強家の若いスタッフが揃いますが、残念ながらすぐ入れ替わり、過去に失敗をして名前を変えて再開した療育を、新しいモノと誤解する可能性もあります。
研究者ですら、論文を数多く書いて出すのは熱心でも、厳密な検証をしない。前提条件がおかしくても平気と言う人がいるのです。
長く何十年と自閉症に係わり、失敗と成功を見極める人がいない日本の自閉症研究。それを示すのが「太鼓と少年」なのです。このテレビ番組の存在すら知られず、あったことを調べ出せない日本。この少年のその後の生育歴も、現在も全く探し当てる事が出来ない日本。
これが、医学的にも学問的にも持続性が無いぶつ切りの状態の、流行だけに左右される、日本の自閉症・アスペルガー症候群・自閉症スペクトルとその家族を取り巻く環境なのです。
ですから
自閉症の子供を心配する親は否応なく、私財を投げ打って我が子の為に障害者支援施設を立ち上げるしか子供を守る術が無いのです。
1990年になり、ローナ・ウイングが自閉症の定義を明確にし、自閉症の診断が可能になった頃、ようやく若手の医者が、自閉症を専門とした児童精神科医を目指し始め、今では幾人かの自閉症の専門医が出てきました。
それでも、日本にはいまだに「ヒトの気持ちを考えよう」と訓練をすれば、ヒトの気持ちが分かる様になると考える研究者や、カナー型の自閉症を頂点に正常な人と富士山の様になだらかに繋がっていると言う児童精神科医がいて現役で活動中なのです。
東京都でも、ロールプレイで自閉症児がヒトの気持ちがわかる様になり、積極的に取り入れているとごく最近まで推奨していました。
トコトン トコトン
子供はすくすく育ちもう小学4年生。
「〇ちゃん、〇ちゃん」呼びかけてもこちらを見てくれない。
太鼓と少年 昭和43年(1968)11月22日金曜日 NHK
志賀さんと言うある施設の担当者に「どうして山岸さんは自分が自閉症だと分かったんですか?」と聞かれた時、すぐに太鼓と少年を見た時の事を思い出しました。
自閉症は「マインドブラインドネス」自分の内面、自分のマインド、自分のココロ、自分の状態が分からない障害。なのに何故私は自分が自閉症だと分かったのでしょうか。
実は、テレビの中の少年が親から言われている事、その事は普段私が何度も何度も親に言われている事と全く同じだったのです。そしてその時の素振りを見てると、彼がその時何を考えているか、手に取る様に分かったからなのです。

トール!コッチコッチ
呼ばれるたびに見てもしつこく呼ばれる。
「お父さん、お父さん。しょうが無いからそっち向いて、そっち」「そうそう」
テレビの中の少年も呼ばれる度にホンの一瞬そちらを見ています。テレビの少年よりもこの写真の時の私は遥かに年下ですが、行動は全く一緒です。この時私は呼ばれる度にカメラを構える母親の方を見ました。それも呼ばれる度、忠実に何度も何度も。しかし、何度見ても母は私を呼ぶのを止めません。終いには呼ばれても見なくなりました。今になって思えば、「いいよって言うまでカメラのレンズをじーっと見てて」と言ってくれれば、カメラのレンズを見続けたと思います。

小学校の入学
の頃にはもうカメラを持って
「コッチを見なさい」と言われれば
カメラのレンズをジッと見続けます。
これは知能の問題。でも目線は微妙。

小学校3年の春にも
なれば、もうしっかりカメラ目線。
知能はそれなりで、周囲の子供の
社会性もまだまだ未発達なので
小学校生活にそんなに問題も不満もありません。
トコトン トコトン
ナレーション:
この子は「自閉症」と言われる障害でその障害は未だ謎に包まれている。
太鼓と少年 昭和43年(1968)11月22日金曜日 NHK
この謎の障害 自閉症‥ この障害を持つ人と正常な人との区別が付くのでしょうか
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