学校の怪談

自閉症カンファレンス2002 妻の講演録

妻が口頭で読んだ内容です。今読み返すと知能の高い自閉症(アスペルガー症候群)の子供たちもいずれ体験しそうな事が、濃密に詰まっています。恐らく受講者は、聞いただけでは意味が分からなかったでしょう。解説もつけましたので親御さんに是非読んで貰いたい資料です。

自閉症カンファレンス

NIPPON 2002 当事者として講演、妻の講演録。

はじめまして(山岸徹)

本来なら抄録にある内容を発表するのが本当なのでしょうが、今日は別な話をしたいと思います。

何故かというと、何らかの要因で突発的に発生した自閉症は(現実にあれば)は別ですが、私達のように、一子相伝自閉症の宗家ともなると、家族、親類縁者、変なのばっかりです。

特に私(山岸徹)の父は、50才でアルツハイマー病の予兆を示し62才で死にました。

私もそろそろ、父の様子が変わってきた年齢に近くなりましたし、実際自覚症状も出てきました。今、言いたいことを言っておかないと、後悔しますからね。

まあこれから口に任せて話しますので、その中に、皆さんのヒントになるような所があったら、是非利用して下さい。

抄録にある話は大人になってからの具体的なエピソードとして書き起こしましたので後でじっくり読んで見て下さい。

他にも、40年かかってやっと落ち着いで作業が出来る環境になったが、これはTEEACHだった。とか、情報を脳の内部でどの様に処理され、うまく実行されないのか、その実行までのようす。とか、漢字圏における読字障害と、英語圏における読字障害の発生の違いと、読字障害に陥る課程の具体例。とか、パニックの具体例とその構造。とか、自閉症に多い斜視や、視力障害についての考察。とか、自閉症に関する症例を網羅した実例を準備してきましたので、どこまで話せるか。

先ず山岸美代子が話します。

   

   

このメガネを掛けると、主人は「亀仙人にそっくりだ」と言います。亀仙人というのはドラゴンボールに出てくるキャラクターだそうですが、生憎と私は知りません。「何だ亀仙人も知らないのか」と呆れられますが、私だってドラゴンボールくらい知っています。ただ亀仙人を知らないのです。何でも主人公のお猿さんの師匠だそうで、多分そっくりなので見なくてよさそうです。

    

私の日常というのは、ちょっと思い返してみても、各地の民話に出てくるバカ息子とか落語の与太郎みたいなのですが、二十年以上前、それをあっさり自閉症と結びつけてみせたのは主人だけでした。

デート初日から、きっと自閉症だ、絶対自閉症だ、と楽しげに言い続けていた気がします。

気がするというのは、私にとっては自閉症イコールカナー型でしたので、余り真剣に聞いてはいなかったのです。

   

主人は私と違って、小学校5年の時から自分は知能の高い自閉症だと確信しており、以来どこかに自分とそっくりなやつがいないものかと、これはと思う子には必ず話しかけ、話しかけられない子は遠くから行動を観察し、と常に研究を怠らなかったそうです。

やっと見つけた私は、同じアスペルガー症候群でも主人とはタイプが違ったのですが、
それでもこの程度の似方でさえ、ひとりも見つからなかった、と主人は言います。

注釈:私(山岸徹)は小学校3校、中学3校、高校2校へ通い、延べ2000人の同世代と席を隣にしたが、こんなに変な、そして私と同じ感覚の人間に会うのは初めてで本当に驚いた。

ではそれまで主人以外のヒトは、アスペルガー症候群の私の行動をどうとらえて、どう表現していたか。

これから五つばかり私的民話をお話しようと思います。

中学時代の話が多いのは、丁度そのころから、立て続けに「不可思議な出来事」が起こり始め、さすがの私も「何じゃこりゃ」と思い始めたので、ひときわ印象深いのです。

しかしこの時点でも、「ひょっとして私は他の人と違うのか」などと思いつきもしない私は、誰にでもある事、と納得していたのです。

  

   

では、ようこそ私の世界へ

   


学校の怪談 その壱 えんま大王

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青森ねぶた祭

春なお浅い中一の一学期、英語の時間だった。

授業中、ふいに一年二組の教室に不気味な静けさが漂い、
見渡せば、私以外のクラス全員が背中を丸め、一心に何かに取り組んでいる。

当時の区立中学は、小学校ですごく出来た子も、
普通に出来た子も、普通に出来なかった子も、
まったく出来なかった子も、悪ガキも真面目な子も、一緒くただ。

   

「えっ?」櫻井さんが迷惑そうに顔を上げる。

「ねえ、何してるの」私は小さな声で繰り返す。

櫻井さんはセーラー服の袖でノートを囲い込みつつ
「だから何してるって何?」と声が大きくなったその瞬間、

「そこの二人!廊下に立つ!」

数分後、男性教師が様子を見に廊下に出て来た。
手には黒いえんま帳

   

「私は話しかけられただけです」私の方を見遣り、自分にはまったく非がない事を主張する櫻井さん。

櫻井さんの鋭い口調に教師は一瞬うろたえたものの、
「授業中は話しかけられても答えない!櫻井は入ってよし!」と威厳を保ち、えんま帳は開かなかった。

   

私はしばし無言でにらまれた後、
「口は災いの元」と言われ、えんま帳に何かしっかり付けられる。

   

    

未だにあのときみんなが何をしていたのかわからずじまいである。

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漫画漂流教室より

えんま大王   


学校の怪談 その弐 漂流教室

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漫画 漂流教室より抜粋

これも中一の一学期、若葉新緑のころだった。
その朝もいつもと何らかわりなく、弁当を持って家を出た。

   

テレビでは連続テレビ小説「あしたこそ」をやっていた。
心なしか通学路はひとけがなくてひっそりしている。

一瞬日曜日かと錯覚しドキッとしたが、 それなら朝の連続テレビ小説をやっているはずがない。 校門のところでやっと向こうから歩いてくる人間に遭遇し、ホッとする。
それは中年の家庭科教師だった。

「おはようございます」
彼女に挨拶してから先に校門をくぐったが、入り口周辺には誰もいない。

   

そればかりではない。
下駄箱にも誰もいないし、その先に見える校庭も無人だ。
どういう事なのだろう。

   

上履きに履き替え一年二組の教室に向かったが、途中の廊下にも誰もいない。
両側の教室からも人声がしない。

予想していた通り、一年二組の教室にも人っ子ひとりいない。

  

  

しばらく自分の机で呆然としていたが、仕方ないので帰ることにした。

  

廊下をとぼとぼ歩いていると、突然気が付いた。

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漫画漂流教室より

あーっ、今日は運動会だ!

何かに気を取られて忘れていた訳ではなかった。
うっかり忘れていたというならまだ救いがある

今日が運動会だということに、たった今気が付いたのだ

そう言えば先週来、学校全体がザワザワガヤガヤと落ち着かなかった。

すなわち創作ダンスの通し稽古やら、ホームルームで配られたゼッケン、
揃いの鉢巻き、観客席の割り振り、ガリバン刷りのお知らせの数々、
突如として校庭に出現した巨大なベニヤ板のポスター数枚、

ダメ押しで「あしたお弁当どうしようかなあ」という帰り際の友人の不可解な独り言。
これらの意味が、突如として統合されたのだ。

今日は運動会なのだ。

さあ大変だ。運動会はよそのグラウンドを借りて行われる。
私は急いで家に駆け戻り、体操服に着替えると、支給された鉢巻きをしめ、
ゼッケンとそれを縫いつける為の針と糸、弁当を持ち、
驚く母親に説明するのももどかしくグラウンドに向かった。

   

15分ほど走りに走り、やっと着いたときには吐きそうになっていたので、
「気分が悪くて遅れました」という言い訳が居ながらにして強い説得力を持った。

   

開会式はとっくに終わっており、競技が始まっていた。

    

そして、静かな日常が戻ったある日。

家庭科の時間、みんなはミシンを踏んでいた。

突然「ちょっと来てくれる」 あの日校門で出会った家庭科教師が手招きするではないか。
私は血の気が引いた。

てっきり運動会の事で怒られるのだろうと思い、 クラゲ状態になって漂って行くと、
教師はやさしく「あなたのおうち遠いの?」と聞く。

安心した私が「いいえすぐ近くです。そこをまっすぐ行って信号渡って、五分くらいです」
と詳しい道順を教えると、次は「あなた体弱い?」と聞く。

「いいえ」と答えると、今度は「あなたのおうち、躾けは厳しい?」と聞くので、
「そんなに厳しくないです」答えると、 教師は「・・・はい、いいわよ」と解放してくれた。

さっぱり訳がわからない

そして、又静かな日常が戻ったある日

私は二年生になっていた。

家庭科の授業の真っ最中、 同じ教師が、突然「あなた太ったわよねえ」と言う。
教師の言う通りで、二年生になって急激に太ったので「はい」と言うと、
「かわいくなったわ、ねえ」とみんなに同意を求める。みんなは大笑いするし、

さっぱり訳がわからず

   

教師も「運動会の日にセーラー服で学校に来た変な子」の謎解きに二年越しで苦しんでいたに違いない。

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漫画漂流教室より

漂流教室


学校の怪談 その参 ゴーゴンの呪い

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映画 ゴーゴンより抜粋

中一の二学期の中間試験(応用が利かない)
試験官は担任の美術教師だった。

夏休み明けの席替えで、 あみだくじにはずれた私の席は、教壇の真ん前である。 やがて目の前に人数分のプリントの束が置かれ、一枚取って後ろへと回す。

「えーっと、まだ早いので用紙は伏せておいて下さい」 言いつつ教師が教壇に戻る。

   

私はプリントを裏返し、手を膝に置き、「始めっ」の合図を待つ。

合図を見逃すまいと美術教師の顔をじっと伺う。
向こうもこちらを見ているが、何の表情もない。

   

この美術教師は入学式直後のホームルームで、
黒板の上に飾ってある「根性」の額を見て鬼瓦のような顔になり
「俺は根性という言葉が大嫌いだ。はずせっ!」と生徒に命令した教師である。

そんな教師が至近距離で無言、無表情でいるのは不気味だ。

   

見つめる、見つめ返す、見つめる、見つめ返す。

   

その距離1メートル弱。しかしいくら待っても「始め」の合図はない。
遅い、遅すぎる!プリントが配られてからかれこれ三十分ではないか。
すると辺りにはまたもやあの不気味な静けさが・・・。
あっ、もしや試験は合図無しで始まっているのか?

   

ついにたまりかね、 隣は櫻井さんで懲りたので、肩越しに後ろの席の子に、
「ねえ、始めていいの」 「始めていいって・・・何を」試験中に話しかけられ困惑した声。
このやりとりを真っ正面で見ながらも、無言無表情の担任教師

やはり試験は始まっていた。

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漫画漂流教室より

きゃぁぁぁぁ、
声にならない叫びとともに私はプリントをっひっくり返し、
がくがくする手で鉛筆の芯をバキバキ折りながら、
何とか答えを書き込もうと無駄な努力をするのだった。

   

   

因果は巡る。それから10年の後。

二十一才の私はガラガラの都営バスで、この美術教師と向かい合わせになった。
見つめる、見つめ返す、見つめる、見つめ返す・・・・・・・
都営バスとベンチシートの向こうとこちらで、その距離数メートル。

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映画 ゴーゴンより抜粋

これぞまさしくゴーゴンの呪い


学校の怪談 その死 犬神家の一族

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映画 犬神家の一族より抜粋

中一の三学期 三点倒立の実技試験であった。

球技がまったくダメな私が点数を稼げるのはマット運動ぐらいだから必死だ。

授業中にマスターできなかった私は、夜毎ふとんの上で、
母親にモニターしてもらい、頭頂部がへこむかと思われるほどの練習を重ね、
やっとのことでコツを掴み、試験に臨んだのだった。

試験は長いマットの上に、出席番号順に並ぶだけ並ばされ、 笛の合図で一斉に倒立する。
私は最初のグループだったが、もちろん猛練習の甲斐あって楽々クリア。

   

しかし・・・・・・いくらたっても「やめっ!」の笛が聞こえない。

   

頭に血が昇る、マットはふとんほど柔らかくないので頭頂部は痛む。

いったいいつまでさせるんだろう、おかしい、と思った瞬間、 体育館にあのなじみの不気味な静寂が・・・・・

(あっ、やめっの合図なしなんだ)、私はパッと倒立をやめた。

ところが・・・・目に入ったのは逆さになった足、足、足、・・・みんなは延々と倒立し続けていた。

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映画犬神家の一族より

マットの真ん中であぐらをかいていた教師は、
「誰だっ!勝手にやめるやつは!」と怒鳴りながら立ち上がり、
「おいっ誰がやめろと言った!あっ、この野郎、おまえか

私はもう一度倒立しようとしたのだが、
「やらなくていいっ。そんな態度の悪いやつにはもう点数はやらないっ!」
と、またまたえんま帳に付けられる。

  

  

その学期の体育は本当に1だった。

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漫画漂流教室より

犬神家の一族


学校の怪談 その後 ミザリー

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映画 ミザリーより抜粋

都立高校一年の春、保健室。

   

漢文の時間に急に気分が悪くなった。 教師に申し出ると、保健室に行くようにと、お供をひとり指名してくれた。

保健室には保健婦ともうひとり、
多分女性教師がいたが、入学したてで誰なのかわからなかった。

二つ並んだベッドにやっと滑り込むと、友人は帰って行った。

ベッドに寝ている私に、白衣の保健婦が大きな声で容赦なく調書を取る。
「で何先生の何の授業?」

私と主人は、小学校のときから授業中気分が悪くて保健室に行くたびに、
「朝ご飯食べてこなかったでしょ」と決めつけられ 「まったく近頃の子は体を鍛えないから」と保健婦に散々いじめられ、 トラウマになっている。

緊張のあまり頭がフリーズし、覚えていたはずの漢文の教師の名前が、いくら考えても思い出せない。

「えーっとえーっと」と言うと
「まああきれた。たった今受けていた授業なのに先生の名前も知らないの」と大げさに言い、 するともうひとりが「あらまあ、先生の名前も覚えてないの」と同調、
ふたりの女は「ほんと近頃の学生はねえ、先生の名前も覚えてないで授業を受けてるんだから」とこぼし合い、笑いあった。

まだ気分は悪かったが、15才の私は早々に保健室を退出した。

   

   

   

こんな私たちにとって、保健室通学というもの、想像すらできない。

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映画 ミザリーより抜粋

ミザリー 


学校の怪談 その呂久 ランゴリアーズ

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映画 ミザリーより抜粋

英語学校にミス・ミラーというそれは厳しいアメリカ人の教師がいた。

   

日本の学生は怠け者、が口癖だったが、男子学生には比較的甘かった。

私は二年生のとき彼女の選択クラスを取った。

週一回わずか20人足らずのにんきのない講座で、
机をコの字に並べ替え、あらかじめ決めてあったトピックスを話し合う。

ミス・ミラーはコの字の切れめに座っていて、気が向けは、ハウバウチュウ?
と生徒ににこやかに質問する。

といった気楽な授業だった。

ハウバウチュウ?

ある時指名されたので私が答え始めると、ミス・ミラーのにこやかだった表情がみるみるゆがみ、 それは恐ろしい表情になった。
フンッと鼻息と共に立ち上がると、コの字を突っ切り、私の前に来てこう言った。

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映画 ミザリーより抜粋

「どうして私が`ミス・スズキ’に質問すると、いつも`あなた’が答えるんですか!」

もちろん英語である。
ミス・スズキというのはいつも私の隣に座っている仲良しである。

訳がわからず、体中の血が地面に吸い込まれる感覚で、私は「いつも・・・ですか?」と言った。
もちろん英語である。

これは単なるオウム返しであったが、火にあぶらを注いだ。

ミス・ミラーはよくぞ言った、とばかりに、

「そう、`いつも’です。
 でも`今日’はあなたに聞きたいんじゃありませんからね。
 ミス・スズキに聞きたいのです。なぜなら・・・ぺらぺらぺら」

もちろん英語である。

その口調は腹に据えかねて、とか堪忍袋の緒が切れた、という感じだったが、
私はミス・ミラーのヒステリーだと思った

ミス・ミラーは言うだけ言うとミス・スズキに向き直り、同じ質問を繰り返したが、
無理に作った笑顔はすさまじいものだった。

   

ミス・スズキは質問に答え、授業は何事もなかったかのように進んだ。

  

ランゴリアーズ


英語学校在学当時の私の視力は両眼とも裸眼で1.5でした。

私が人の視線の向きが読めない、ということは主人に指摘され初めてわかりました。
43才の時です。

これらのエピソードの前後にも、カテゴリーごとにごっそり並んでいて壮観です。 最近はあまりありませんが、 それはほとんど外に出ないし、人と接触しない為です。

  

おあとがよろしいようで。

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漫画漂流教室より

次ページ エピソードの解説へ つづく・・・


エピソードを年齢と自閉症の知識を得た私(山岸徹)が分析してみます。

ヒトは恐ろしいほどヒトが好き

私たち夫婦の様な、知能の高い自閉症・アスペルガー症候群は、人好きに見える積極奇異群でさえ、正常な人に比べると遥かにヒトと交流(社交)する必要が無いようです。

小学四年生に第一期反抗期という形で目覚める自我。高学年にもなると、社会性が求められますが、まだ未熟な集団。正常な子供たちと、私たちの差はそれ程ではありませんが、中学になると、その生活習慣と共にヒトとの関係も一気に変わります。中学入学で、私たちは極端な緊張を強いられます。

授業中、ふいに一年二組の教室に不気味な静けさが漂い、

見渡せば、私以外のクラス全員が背中を丸め、一心に何かに取り組んでいる。

えんま大王

過剰な緊張は時に教師の指示も教室のざわつきさえも聞き取れなくなります。
私(山岸徹)の場合は、真剣に聞こうとすればする程居眠りをしてしまいました。
50年前ですが、中学一年で居眠りするヤツはお前が初めてと言われました。

「どうして私が`ミス・スズキ’に質問すると、いつも`あなた’が答えるんですか!」

「いつも・・・ですか?」

「そう、`いつも’です。でも`今日’はあなたに聞きたいんじゃありませんからね。ミス・スズキに聞きたいのです。なぜなら・・・ぺらぺらぺら」

ランゴリアーズ

このケースは自閉症児に見られる「相手の目線が読めない」ことが主因ですが、どうしても新しい環境下では対人的な緊張を強いられます。
さらに自閉症・アスペルガー症候群はマインドブラインドネス。
自分自身がヒトの目線を読むことが出来ない、出来ていないなどとは夢にも考えていません。
そんな緊張時(臨戦態勢)に自分の方を見られれば、とっさに自分の事と理解して答えてしまうのです。

ふたりの女は「ほんと近頃の学生はねえ、先生の名前も覚えてないで授業を受けてるんだから」とこぼし合い、笑いあった。

ミザリー

私たちは保健室でイヤミを言われた記憶しかありません。

私が気分が悪くなり保健室へ行くと必ず 。
「あらーあなた朝ご飯たべて来なかったんでしょう。私たちが子供の頃は野山を駆け回り元気にしたモノだけど、今の子供たちはねぇ」 と言われました。
不思議な事に、横浜の三ツ沢南小学校、大阪の香里第四小学校、札幌の手稲中央小学校、手稲中学、青森の古川中学、どこへ行っても一字一句同じセリフでした。
妻が通った文京区第九中学でも一字一句同じだったそうです。 東京都文京区のドコに野原があったのでしょう。
そしてその話に一体どんな教育効果があるのでしょう。

今は保健室登校で一日過ごす生徒がいますが、余程ヒトが好きな事が分かります。

私たちが保健室登校を許される立場なら、絶対学校へは行きません。
学校へは行かねばならぬ、という避けざる掟があるからこそ嫌でも苦しくても登校するのです。


    

ヒトは難しいからジグソーパズルをやるらしい

ジグソーパズルを苦も無くやる自閉症の事は知られています。私も簡単なので興味が沸きません。一方妻はすぐ出来るのでタイムアタックに興味が移り一時熱中していました。 積み木模様の課題や埋没図形課題が非常に簡単にできるのも自閉症児の特徴です。
これらには中枢性の統合が弱いことが有利に働いていると考えられています。

廊下をとぼとぼ歩いていると、突然気が付いた。あーっ、今日は運動会だ!

今日が運動会だということに、たった今気が付いたのだ

これらの意味が、突如として統合されたのだ。今日は運動会なのだ。

漂流教室

「そそっかしい人には誰にも一度はある事」ほとんどの自閉症の子供たちはこの一言で処理されてしまうでしょう。
ココで決定的に違う事は、正常な人は「運動会」の日付を間違うのですが、私たちの特徴は、事ここに至って
「今日がその準備をしていた運動会の日なんだ」と初めて全体像を理解出来た事なのです。
ようやく「運動会」というモノに概念化出来たと言うか、伏線がやっと「今」統合されたと言うことなのです。

さらに自閉症の特徴は、記憶が異様に鮮明で細部にまで至ることです。

統合が弱いと言えば、正常な人がなる精神疾患、統合失調症と混同されますが、統合失調症の場合、元々は正常な人である事が決定的に違う事で改善する病気であると言う事です。

教師も「運動会の日にセーラー服で学校に来た変な子」の謎解きに二年越しで苦しんでいたに違いない。

漂流教室

「誰にでも一度はある事」と思われたとしても、
その後の家庭科教師の不可解な言動を見ると、長く続けた教師生活の中で、 非常に奇っ怪で理解不能な出来事に遭遇し、その対応に悩んだ様子が窺えるでしょう。


     

校則を守る と 臨機応変

校則を守る。これは一つのルールですから、私たち自閉症・アスペルガー症候群にとって簡単な事です。
一方学校生活の中では臨機応変も求められます。この臨機応変が入り込むと事情は一変。校則を守っていて不都合が起きると臨機応変を求められます。
臨機応変で対応しなさいと要求され続けると、校則の存在自体意味が無くなり、全く校則を見向きもしなくなります。(これは私の例です)

臨機応変をさほど要求されず、校則から外れたときのデメリットを理解すると、最も校則に忠実な生徒になります。(これは妻の例です)

同じ事柄が、両極端の形で出るのが自閉症・アスペルガー症候群の面白いところであり、難しいところなのです。

私はプリントを裏返し、手を膝に置き、「始めっ」の合図を待つ。

合図を見逃すまいと美術教師の顔をじっと伺う。向こうもこちらを見ているが、何の表情もない。

・・やはり試験は始まっていた。

ゴーゴンの呪い

試験ははじめの合図で行う。このルールに囚われているため周囲では勝手に始めている事に気付けません。
臨機応変で試験を始めている級友と比べ、ルールを守りながら取り残される事は、その後の社会生活でもずっと続きます。
あらゆる所でルール以外の何かで決まる不公平感は、妻も私も他の当事者も持っていて、自分が損する事でも不平等に非常に敏感です。

さらにこの例には、「自閉症は二つの事が同時に出来ない」と言う特徴も現れています。
一つは教師の指示を待つという事。もう一つは周囲の様子をうかがうという事。
この場面も誰もが教室で経験する事ですが、答案をめくる騒音や、その後の静けさで正常な人は程なく気が付きます。
その気づき具合、程々では無く、あり得ない程の時間忠実に待ち続けるところに自閉症・アスペルガー症候群の特徴が現れています。

合図を待つ事と周囲の騒音に気付く事。すべてのアスペルガー症候群の子供が同じ訳ではありません。
妻の一点集中型に対し、私は散漫型とでも言うタイプ。あらゆる刺激に対応出来る様にアンテナを張り巡らせていますから、教室のテストの場面では臨機応変に対応出来ていたつもりです。

しかし・・・・・・いくらたっても「やめっ!」の笛が聞こえない。

(あっ、やめっの合図なしなんだ)、私はパッと倒立をやめた。

犬神家の一族

この例は合図なしのテストを経験し、臨機応変でやめの合図なしと解釈した結果、裏切られた実体験。
この様な体験を積み重ねて学習しますが、その後の行動パターンは大きく分かれます。
とにかく合図指示を忠実に守る、となるか、臨機応変の前には決まり事の存在は無意味と両極端になるのがアスペルガー症候群。
いずれにしても程々ということにならないのが特徴です。

ここでも合図に囚われ、他の生徒が止める気配を察知するという別の選択肢は、すっぽり抜け落ちています。


    

教育的配慮 

いっそう社会性を求められる中学生。教師からは相手の気持ちや、こころ、仲間と協調を求められ、私たちには出来ない、理解できない事がどんどん増えてきます。

合図を見逃すまいと美術教師の顔をじっと伺う。向こうもこちらを見ているが、何の表情もない。

やはり試験は始まっていた。

ゴーゴンの呪い

しかし・・・・・・いくらたっても「やめっ!」の笛が聞こえない。

(あっ、やめっの合図なしなんだ)、私はパッと倒立をやめた。

犬神家の一族

恐らく「察しろ」あるいは「気付け」或いは何かの教育的配慮なのか、私たちには理解できないそして年齢を重ねた今でも理解できない事が毎日の様に身の回りで起き始めます。

残念ながら、私たちに与えた教育的配慮は全く効果が無かった事は、今でも理解できない事から明白です。

教師も「運動会の日にセーラー服で学校に来た変な子」の謎解きに二年越しで苦しんでいたに違いない。

漂流教室

同時に私たちの行動は教師の側に多くの謎を投げかける事になったでしょう。   

   

山岸 徹 講演につづく・・・

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