
自閉症児エリーの記録
河出書房新社
その克明な記述は古くなる事はありません。この書籍からの記述です。
p349 エリーは幼稚園の後、公立小学校の特殊学級に進む事になりました。
そこで出会う知能が低いと言われる子供たちを見てエリーの母親は驚きます。
週に二回、私は学校の給食を手伝いにいくが、そのたびに、遅れているはずの子供たちが堂々と各自の人間性を発揮していて、その話しぶりなどに驚かされる。
「おい、今日の給食はなんだい? 昨日ぼくなにしたと思う? これなあに? ぼくにんじん大きらい。君は? じゃぼくのやろうか? すんだら一緒に遊ばないかい? ボールがいるな、 ジョニーが持ってるよ。おい、ケチケチするなよ。ジョニー!あいつ、いつもこうなんだ。一発みまってほしいのか?」。
こうした会話をきいていて、私は不思議な気がする。これが知恵遅れなのだろうか。代名詞、前置詞、不規則動詞の使い方、いずれも正しく、表現力も豊かである。
それでも、なかには13歳になっても、8歳のエリーには直観的にわかるような数学上の関係を、何度教えられても把握できない子供もいる。
彼らの障害より、エリーの障害の方がより不可解ということもいえないのだ。
複雑な境的関係をこんなによく把握している子供たちが、なぜこんな簡単な数学の問題がわからないのだろうか。
彼らにはあって、エリーにはないもの、それはなんなのだろう。
自閉症の子供を見ていると、誰もが「知能」とは何だろう。「知能指数」の意味は何だろう。と考えてしまいます。